なりたち
会意 木と目とを組み合わせた形。相は木を目で「みる」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る人に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであったから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振(たまふ)りの力があると考えられたのである。それで「詩経」に「彼(か)の淇(き・川の名)の奧(ほとり)を瞻(み)れば」のように、おい茂った草をながめるも、生命力をたすける魂振りの意味を持つ発想であるとする。また、見ると言わなくても、「詩経」に「南山に薹(げい・すげという名の草の名)有り、北山に萊(らい・あかざという草の名)有り」とあるように、草が存在することを歌いあげるだけでも魂振りの力があるとされ、「詩経」にはそのような発想法が数多くみえる。わが国の「万葉集」にも、「見れど飽(あ)かぬ」「見れど飽かぬかも」「~見ゆ」という形式の歌が多いが、みな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想(おも)うことを想という。