なりたち
象形 表示として樹(た)てた標木(目印の木)の形。標木の上部に横木をつけ、そこに
さい(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れてある器の形)をつける。これによってその場所が聖化されるので、才は神聖な場所として「ある」ことをいう。木を樹てのはわが国の柴(小さな雑木)を祭場の境界に刺して、柴の力で土地を聖化する柴刺(しばさし)の習俗と同じで神が天から降下して寄りつく所を聖化する方法である。才は聖化され、神聖なものとしてあるというのがもとの意味であり、才は、在(ある)のもとの字である。金文では「正月に才(あ)り」のように、在の意味に用いる。のち聖器として小さな鉞(まさかり)の頭部の形(士)を加えて在となり、子を加えて存(ある、いきる)となる。存在とは、神聖なものとしてあるということである。新しい器物が作られたとき、聖なる標(しるし)として才の形のお札(ふだ)のようにつけて祓(はら)い清める。才を戈(ほこ)の上につけた形が𢦏(さい・はじめ)で、裁(たつ)・栽(うえる)・載(はじめ)は音が𢦏の字である。才能(生まれつきの頭の働きと能力)の意味も、はじめから存在するもののうちにある働きの意味であろう。「ある」というのがもとの意味であったが、のちに才智(さいち)・才知(頭の働き、また、頭の働きの鋭いこと)の意味に用いる。