なりたち
会意 歩(步)と頁(けつ)とを組み合わせた形。「説文」に、瀕(ひん)を正字とし、「水厓(すいがい)なり。人の賓附(ひんぷ・近づく)する所なり、顰蹙(ひんしゅく・顔をしかめて)前(すす)まずして、止(とど)まる」とあるが、水ぎわで顔をしかめるというのは、何の意味かよくわからない。古い時代には、水ぎわは、神を迎えるところで、そこでは神を迎える儀式が行われた。濱(浜)は水ぎわでおこなう神を迎える儀式をいう。頁は儀式のときの衣冠を整えた人を横から見た姿であるから、瀕は水ぎわでの儀式をいう字であろう。順の金文の形は瀕で、水ぎわで親を祭る儀式をいう字であり、順(瀕)子は孝子(親に孝行な子)の意味に使用されている。濱・順(瀕)・瀕の字を総合して考えると、水ぎわでの祭祀(さいし・祭り)・儀礼があったことには疑いがない。古い時代には水葬(死者を水に流してほうむること)の俗もあったので、それと関係があるかもしれない。いまは「しきりに、しばしば」の意味に用いる。